2008年08月23日
大井川鐵道
今日は所用で(出張とも言う)大井川鐵道に行って来ました。
行程は京都を<のぞみ>で名古屋、<ひかり>で浜松、<こだま>で掛川まで行きで、途中は乗換駅以外は無停車でした。
大井川鐵道では約4時間ほど撮影にいそしみ、16:42掛川発時刻<こだま>で京都まで戻りました。帰りは全駅停車の<こだま>乗車ために1時間55分ほどかかりました。しかし名古屋で<のぞみ>に乗り換えても10分ほどしか早くならないのと、名古屋-新大阪間では珍しくなった<こまだ>で空いていたからですが・・・。
では大井川の写真を少し。

川根温泉笹間渡-抜里間 大井川を渡る元京阪3000系

川根温泉笹間渡駅付近 タイ仕様に戻されたC56

新金谷 元近鉄6421系
前回大井川鐵道に行ったのは1994年4月の事で約14ぶりでした。前回行った時はまだ京阪3000系が竣工前で南海21000系以外は非冷房の旧型電車ばかりでした。
お世話になった皆様と石川様有り難うございました。
行程は京都を<のぞみ>で名古屋、<ひかり>で浜松、<こだま>で掛川まで行きで、途中は乗換駅以外は無停車でした。
大井川鐵道では約4時間ほど撮影にいそしみ、16:42掛川発時刻<こだま>で京都まで戻りました。帰りは全駅停車の<こだま>乗車ために1時間55分ほどかかりました。しかし名古屋で<のぞみ>に乗り換えても10分ほどしか早くならないのと、名古屋-新大阪間では珍しくなった<こまだ>で空いていたからですが・・・。
では大井川の写真を少し。
川根温泉笹間渡-抜里間 大井川を渡る元京阪3000系
川根温泉笹間渡駅付近 タイ仕様に戻されたC56
新金谷 元近鉄6421系
前回大井川鐵道に行ったのは1994年4月の事で約14ぶりでした。前回行った時はまだ京阪3000系が竣工前で南海21000系以外は非冷房の旧型電車ばかりでした。
お世話になった皆様と石川様有り難うございました。
2008年07月27日
近江鉄道
2008年06月15日
悲しい出来事(絶句)
先日発生した岩手・宮城内陸地震で、駒の湯温泉で宿泊者が生き埋めになっているとの情報ですが、今日の午後8時頃のネットニュースで行方不明になっていたのが、鉄道博物館の学芸員をされていた岸由一郎氏とはビックリしたのを通り越し絶句しました。
岸氏とは一度だけ親父の写真の借り入れのために連絡を取り合ったぐらいでしたが、氏が高校生の頃から「福井で地方私鉄に精通した人物がいる」と話が流れていました。東京の大学に行かれそのまま交通博物館の学芸員になられたのは当然と言えば当然で、昨年開業した鉄道博物館での今後の活躍が期待されていただけに残念で仕方が有りません。
岸氏をはじめ今回の地震でお亡くなりになられた方、お怪我をされた方、被災された方々にご冥福とお見舞い申し上げます。

哀悼の意味を込めて岸氏の地元で走っていた京福のテキ512号の写真 1965.6-h
岸氏とは一度だけ親父の写真の借り入れのために連絡を取り合ったぐらいでしたが、氏が高校生の頃から「福井で地方私鉄に精通した人物がいる」と話が流れていました。東京の大学に行かれそのまま交通博物館の学芸員になられたのは当然と言えば当然で、昨年開業した鉄道博物館での今後の活躍が期待されていただけに残念で仕方が有りません。
岸氏をはじめ今回の地震でお亡くなりになられた方、お怪我をされた方、被災された方々にご冥福とお見舞い申し上げます。

哀悼の意味を込めて岸氏の地元で走っていた京福のテキ512号の写真 1965.6-h
2008年06月12日
2008年04月11日
路上駐車

2008.4.9 大和大路五条交差点
観光シーズンになると京阪五条から五条坂(東山五条)まで1車線がほぼバスの駐車場となってしまいます。
このバスなんか交差点で路上駐車していました・・・。

という話ではなく「とうてつ」の文字をみて写真を撮りました。
とうてつとは東濃鉄道という会社で今から30年前までは岐阜県東濃地方で2路線の鉄道を運行していました。
多治見から発車していた笠原線はディーゼルで、
土岐市から発車していた駄知線は電車でした。
どちらの路線も1970年代前半に旅客輸送を撤退(駄知線は洪水で橋梁が流出し休線後1974年に廃止。笠原線は1971年に貨物専用線になり1978年廃止)していました。
電車は関東の流山電鉄と名古屋鉄道、四国の高松琴平電鉄に譲渡され、高松の車輌は2000年まで活躍しました。
2008年02月16日
近鉄モ5621と高松琴平20形
近鉄から譲渡され昨年夏まで現役で活躍した元近鉄モ5621と高松琴平の20形です(現在は保存車として活躍中)。
近鉄では戦前の西日本鉄道と大井川鉄道に譲渡された420系の間に譲渡されたのは南大阪線のモ5621系だけでした。
それは近鉄が自社の電車を廃車後は主要機器をほぼ再利用するところにあるのかも知れません(現在は違うでしょうが・・・)。

1959.9.28-H 橿原神宮前

2007.7.22 今橋
参考
近鉄では戦前の西日本鉄道と大井川鉄道に譲渡された420系の間に譲渡されたのは南大阪線のモ5621系だけでした。
それは近鉄が自社の電車を廃車後は主要機器をほぼ再利用するところにあるのかも知れません(現在は違うでしょうが・・・)。

1959.9.28-H 橿原神宮前
2007.7.22 今橋
参考
2008年01月29日
蒲原1983-10(終)
五泉からまた村松まで戻り、加茂行きの電車に乗り込みました。
この時は結局加茂から新潟に戻り夕食をゆっくり食べて日本海に乗るために新津に移動しました。

村松から五泉に向けて発車していった3連電車

貨物運転が行われていた頃で貨車を見ることが出来ました。

村松駅の加茂側。1985年3月末の部分廃止でこの線路は無くなりました。
この時最初の予定から「日本海に乗る」というおもいしかなかったために<急行きたぐに>が午後9時過ぎに新潟を発車するときに「別に寝台列車に乗りたかったら<きたぐに>でもよかったなぁ~」と考えながら14系客車寝台の<急行 きたぐに>を見送りました。
この時は結局加茂から新潟に戻り夕食をゆっくり食べて日本海に乗るために新津に移動しました。

村松から五泉に向けて発車していった3連電車

貨物運転が行われていた頃で貨車を見ることが出来ました。

村松駅の加茂側。1985年3月末の部分廃止でこの線路は無くなりました。
この時最初の予定から「日本海に乗る」というおもいしかなかったために<急行きたぐに>が午後9時過ぎに新潟を発車するときに「別に寝台列車に乗りたかったら<きたぐに>でもよかったなぁ~」と考えながら14系客車寝台の<急行 きたぐに>を見送りました。
2008年01月24日
蒲原1983-9
村松で撮影後磐越西線との乗り継ぎ駅である五泉にむかいました。

五泉駅 3連で運転されていた夕方のラッシュ時の電車。

蒲原鉄道のホームから見た磐越西線の五泉駅会津若松方面。

上の写真とは反対側になる新津方面。

五泉駅 3連で運転されていた夕方のラッシュ時の電車。

蒲原鉄道のホームから見た磐越西線の五泉駅会津若松方面。

上の写真とは反対側になる新津方面。
2008年01月23日
蒲原1983-8
モハ11形と共に造られたED1です。
この頃はまだ国鉄貨物が活発だった頃で、機関車の後ろには貨車がつながっていました。


台車

運転台
この頃はまだ国鉄貨物が活発だった頃で、機関車の後ろには貨車がつながっていました。


台車

運転台
2008年01月22日
蒲原1983-7
昨日の雪中行軍約5時間のおかげで体が痛いです。
多分雪の中を転げないようにと”おそるおそる”歩いたのが普段使わない筋肉を使ってしまって筋肉痛になったのでしょうね。
蒲原の続きです。
加茂-村松間の開業に合わせて日本車両で1930(昭和5)年に3輌造られた直接制御の電車です。



3枚ともモハ11号の車内です。
直接制御のために大きなコントローラーがあります。
多分雪の中を転げないようにと”おそるおそる”歩いたのが普段使わない筋肉を使ってしまって筋肉痛になったのでしょうね。
蒲原の続きです。
加茂-村松間の開業に合わせて日本車両で1930(昭和5)年に3輌造られた直接制御の電車です。



3枚ともモハ11号の車内です。
直接制御のために大きなコントローラーがあります。
2008年01月19日
蒲原1983-6
蒲原鉄道の顔であったモハ11形は3輌存在しました。

モハ12号 人が通れないぐらい狭い乗務員扉(?)が特徴であった。

オリジナルのモハ11号。車体色以外は1930(昭和5年)の登場時のままであった。

モハ51号。元モハ13号で機器・台車振り替えで51号になった。

モハ12号 人が通れないぐらい狭い乗務員扉(?)が特徴であった。

オリジナルのモハ11号。車体色以外は1930(昭和5年)の登場時のままであった。

モハ51号。元モハ13号で機器・台車振り替えで51号になった。
2008年01月18日
蒲原1983-5
1形式1輌が基本であった蒲原鉄道(除くモハ11形)は多種多彩な顔ぶれであった。

元山形交通三山線モハ106で同線廃線後転入してきた。元名鉄モ451で戦後すぐに名鉄より転入し山形交通で車体更新されHゴム窓の小形電車となったが、面白いことに蒲原鉄道にも名鉄モ451形が転入してきていた。蒲原の元モ451形はモハ21形と名乗り車体更新などは行われず活躍したが、山形交通からモハ106転入してくると代わりに廃車となってしまった。

元武蔵野鉄道の車輌で五泉側の貫通扉はTC連結のために大型化されていた。

クハ10は元は国鉄キハ41000気動車。制御車として全線廃止まで活躍していた。

元山形交通三山線モハ106で同線廃線後転入してきた。元名鉄モ451で戦後すぐに名鉄より転入し山形交通で車体更新されHゴム窓の小形電車となったが、面白いことに蒲原鉄道にも名鉄モ451形が転入してきていた。蒲原の元モ451形はモハ21形と名乗り車体更新などは行われず活躍したが、山形交通からモハ106転入してくると代わりに廃車となってしまった。

元武蔵野鉄道の車輌で五泉側の貫通扉はTC連結のために大型化されていた。

クハ10は元は国鉄キハ41000気動車。制御車として全線廃止まで活躍していた。
2008年01月16日
蒲原1983-4
2008年01月15日
蒲原1983-3
2008年01月14日
蒲原1983-2

1983.4.1 七谷(五泉側)
13時40分発の村松行きの電車で村松を目指しました。
村松行き(五泉行き)は一日13列車しかありませんでしたので、4月1日の日照時間を考えると5列車ほどしか撮影出来る列車はありませんでした。その為とりあえず車庫での撮影と乗車を目的に電車の乗り込みました。

1983.4.1 離合のために七谷駅に停車
途中七谷駅では電車離合のために停車、少し時間があったので電車を降りて撮影しました。

1983.4.1 モハ41の側面
2008年01月13日
蒲原1983-1

1983.4.1 蒲原鉄道 加茂駅の時刻表
1999(平成11)年に全線廃線となってしまった新潟の蒲原鉄道。
蒲原鉄道には部分廃止(1985年 加茂-村松間)が行われまで2回行きました。
一度目は青森の弘南鉄道の帰りに白鳥で新潟入りしてその夜の最初のブルトレ乗車<日本海>に乗るまでの約半日過ごしました。
白鳥はその頃青森-大阪間を日本海側で結んでいた昼間特急列車でしたが、新津駅で白鳥を乗り捨て、在来線で加茂駅に移動しました。

1983.4.1 最初に乗車したのはモハ41でした。 加茂駅

1983.4.1 モハ41の台車
2007年08月20日
琴電旧型車
1999年と先日行った時の写真です。

1999.2

2007.7
この8年間の時差で3つ変化している所があります。
一つ目が塗装、
二つ目が台車、
三つ目がパンタグラフの後ろに見える”ある”店舗の看板です。

1999.2
2007.7
この8年間の時差で3つ変化している所があります。
一つ目が塗装、
二つ目が台車、
三つ目がパンタグラフの後ろに見える”ある”店舗の看板です。
2007年07月25日
電車の博物館と言われた琴電
電車の博物館と呼ばれている(いたが正解ですが・・・)四国・香川県を走る高松琴平電鉄も旧型電車がついに来月全て引退することになりました。
保存車輌として残る電車もありますが、実際の運用に付くことは無くなるようです。

旧型電車の代わりに志度線を走る元名古屋地下鉄 2007.7.22
保存車輌として残る電車もありますが、実際の運用に付くことは無くなるようです。
旧型電車の代わりに志度線を走る元名古屋地下鉄 2007.7.22










